能の世界から外を見る

四年程前に天野文雄氏より薦められて中島那奈子さんの「老いを巡るダンスドラマトゥルギー」の研究会の一員として仲間入りすることになりました。

私は能楽師の家に生まれ三歳の時より能の舞台の中で生活し八十余年を生きてきました。

この研究会のテーマにしているダンスの世界と能の世界との相違点は何か?また接点は何か?と言う事を考える良い機会と思い参加する事にしました。

今年の第一回研究会は日本舞踊・京舞が取り上げられました。日本系の世界でしたから何となく理解出来る範囲内でした。この日の疑問はある意味では能の世界にも通ずる疑問でも有りました。参加者の中から「許し物」とか「その年ではまだ早い」とか言う言葉が出てきました。西洋系のダンスの世界にもこう言う事はあるのかなと思いました。

第二回はバレエダンサーの世界が取り上げられました。籍を置く劇団に自分が馴染めるか否かに依って、或いは招かれて場を共有して舞台を作り上げても馴染める度合いが合わなければまた別のグループへ移って自分の意思と共通する場を探す苦心など能の世界では考えたことのない苦労を見せつけられました。

第三回は現代の中国の若年層のダンサーの内情を垣間見る事が出来ました。若くして定年制のような壁にぶち当たる事があると聞いてこれには大きな驚きを覚えました。

私は基本的に能の世界の尺度で物事を判断して生きて来ました。能の世界にも階級制や家元と謂われる制度が確りと存在しています。その役者の実力に関係なく存在する制約を伴う制度です。その制度は役者の演技能力を無視して存在しています。その非条理は他の世界とくに西洋系の芸術には無縁の物と思って一種の憧れのようなものを感じていたのですが、予想に反しどの世界にもそれぞれにまた別の意味の苦労が存在する事を知り得ました。例えばこの研究会の一番のテーマである「老い」の表現を考える時、これは演者自身の芸術観から来る表現で有るべきです。家元制度とか体制維持のための縛りとかは関係がないものと考えますが、現実はそうではないという事を考えさせられました。

私にとって思いがけない結論に辿り着いて驚きを感じています。今後の展開を楽しみにしています。

髙林白牛口二