前編を読む

いろんな動きがたくさん入っていて、それが滑らかにずっと続いていく、どこがアクセント、どこが抑揚ということもなく均等に流れていく、そういう踊りですね。

私も自分が舞う時、舞の紡ぎ方として、全部が繋がって動きが動きを反響しながらずっと続いていくという、そうした動き方をしているので、動きそのものの質感は『Trio A』の質感とはちがうけれども、その持続感という意味ではすごく共鳴するところがありました。ただ、私の動きは基本的には日常動作より早くなることはない。内観と動きの流れを繋げていくと自然とそういう速度になる。それが自分にとって一番しっくりくる時間の流れ方です。レイナーさん自身が若い頃『Trio A』について書いた文章があるんですが、「自身の時間の流れに沿って踊られる」ということを書かれているんです。でも今回振り付けていただいた時には、もっと早くもっと早くと言われましたので、私、一生懸命がんばって早く動いていたんですけれど(笑)、自分の内観の速度としてはもうちょっとゆっくり動いた方がしっくりくるんだけどな(笑)、でも取りあえず振付を体に入れなくてはと思いながら頑張って動いていました。私が踊るパートは音楽がかかるパートで、音楽的にもちょっとせかされる曲でしたので大変ではありました。先ほど言いましたように、連続した繋がりが私自身の舞いと相通じるところはありますし、その上で、イヴォンヌ・レイナーさんが80歳を超えて踊られた映像はまさに私が踊るくらいの速度でしたから、あ、そうそう、このくらいの速度で丁寧に動いたら絶対いい、自分の身体の時間の流れにしっくりくると感じていました。

『Trio A』の動きというのは日常の動きを採り入れたということとはまた違うわけですか。

私は、日常の動きではないと感じました。日常の動きと言われているのは、しゃがむとか足を上げるとか、そういう、バレエ的ではないという意味なのだろうと思います。ただ教えて下さったマノーさん自身がバレエをレッスンの基礎にされていた方ということもあって、バレエ的な動きで説明されることもあって、参加者がみんな「あれ?」みたいな感じにちょっとなっていたこともあるんです。マノーさんは身体の使い方、筋肉の使い方としてはバレエを踏襲するけれども、美学は踏襲しないということをおっしゃっていました。バレエ的美学、具体的にはグラン・ジュテがあるとか、胸を前にといった、身体を誇示して「魅せる」ことはしない。けれども筋肉の使い方としてはバレエを、レイナーさん自身が基調とされているという話をされていて、あ、なるほど、と思いつつ、何かちょっと違和感がなきにしもあらず、と。

『Trio A』についてのイメージ、あるいはマニフェストでレイナーがオリジナルに訴えたことと、実際に振付を受けられたときに求められたことには、想像以上に違うものがあった。

そうですね、下半身はバリシニコフで、とか言われて(笑)、「おっと」と思いましたけど(笑)。

そういう場合に、ボヴェさんのほか舞踏家の桂勘さんや能楽師の高林先生、いわゆるバレエを基礎としない方々はどう対処されたんでしょう、見よう見まねですか?

見よう見まねでバリシニコフ(笑)。

逆に言うとバリシニコフの動きも、他の日常的な立ったりしゃがんだりする動きもトータルに並置したうえですべてをこなしなさいということになってきますね。

そういうことなんでしょうね。

グラハム的な動きも入っていたと聞きました。

入っていましたね。こうやって(実演してみせる)、「あー、これマーサ・グラハムだ」って。

そうすると、バリシニコフがあり、グラハムがあり、立ったり座ったりの日常があり、といったものをトータルにミックスさせて、それを抑揚をつけずに、しかも繋ぎをきちんと作りながらこなしていく。

ものを作っている人はみんな分かっていると思うんですけど、作っている最中は全てが論理的に組み立てられてゆく感じじゃないんですよね。それは夏目漱石も言ってましたけれど、初めから論理的に、全部構想されて構築されるのではなくて、出来上がったものに対して人が批評したり、自分自身がもう一度自己説明したりしていく。カオスの中から出てきたものを自分がもう一度見つめ直して、これはこういうことだったんだな、だったらこういうことか、みたいな感じで整理し直すということがありますから、結局、論理的に『Trio A』はこういう作品です、こういう美学に基づいて作られてますって言うけど、いや実際はこれはグラハムのテクニックか、これはバレエか、これはなんだろう、クセかな、クセだからやっぱり右足に負荷が、と、そういうものもいっぱいある。だから論理的な説明と、実際のザラザラっとしたテクスチャーであるとか、そのへんの関係が面白いですよね。それが整理されて、古典化されて、型になって、それを皆が繰り返し重ねることで深まってゆくということなんでしょうけど、作っている時ってね、やっぱり楽しくて、どうしようかな、グラハムのこれも入れちゃえ(笑)、みたいな感じできっと作っているのではないかと思います。

ボヴェさんは最初におっしゃったように、空間の設えなどからご自分の舞いを立ち上げられますが、今回、構築されたアーカイブ空間についてはいかがですか。初演当時この『Trio A』がその一部であった『心は筋肉である』という作品で使われたマットレスが置かれたり、ブランコが下がっていたり、といった設えがありました。しかもそれを春秋座という、古典も上演してきた舞台で設える。その空間のことは何かお感じになりましたか。

ひと言で言うと、ちょっとしっくりいかない感じがありました。『Trio A』の今回踊ったこの形というのはプロセニアムで前をがっちり見せる、というふうに整理されたものだと思うんですけれど、動きとしてはもう少しこう、立体的に見るような捉え方をされている気が私にはします。

正面性をあまり意識しないように。

そういうことをむしろ志向していた振付なんじゃないかなと感じましたね。マノーさんから客席の方は見ないで、客席と視線を合わせないで、ということをかなり言われましたし、ジャドソン教会派の方、イヴォンヌ・レイナーさんたちも、いろんな地方を回ったり、教会でやったり、椅子もなしで座って見たりとか、今のコンテンポラリーダンスでもありますけど、そういうことも実験されている。それが劇場作品として整理されていったのでしょうけれど、やっぱり動きそのものや視点としては、いろんな方向から見て、正面があるようなないような、立体的な感じで動いている。もともとはそういう感じの動きなんじゃないかなと。むしろ背後にも人がいてくれた方が、豊かな動きが生まれるのにな、ということは感じましたね。また、春秋座の舞台ということでいえば、もう少し積極的な使い方をしてもよかったかもしれませんね。照明も含めて、ちょっともったいない感じがしました。上演資料や映像を見ると、もうちょっとその場その場の空間に応じたニュアンスがあるような気がしました。今回ならそれこそ、花道を使うとか。この場所ならではの、というのであれば、そういう、「ならではの」空間の特性を踏まえた演出の可能性もあるのかな、と感じました。

なるほど。企画の意図としては、全体を資料の展示があり映像がありといったアーカイブ空間として構築し、あくまでその空間の中でダンスを立ち上げようとした。私たちがあのアーカイブ空間の資料の中にいるという形を作ろうとしたと考えられませんか。

ああ、なるほど。アーカイブ空間の資料の中という視点ですね。その空間というか、企画全体でという意味では、意識はしていました。映像の放映があって、具体的にレイナーさんの仕事に迫って、なおかつ今現在の人にそれがどういうふうに響いてくるか、引き継いでいけるか、そういう思いをもってあの空間で踊るということは、確かにありましたね。

女性二人、男女、男性二人、という組み合わせで踊られましたが、一緒に踊った桂勘さんとはなにか申し合せておくといったことはあったのですか。

あまり相手を意識しないように、むしろ合わせないようにと言われました。桂勘さんと二人で踊ったり、練習の時はみさこさんと二人で踊ったり、いろんな人と踊って当日の組み合わせを決めていったんですけど、相手のフレーズの流れがあるので、あ、次こっちに来るとか、そういうふうな呼吸感みたいなものを感じながらも、なるべく相手の動きに合わせないようにと。それぞれの中で流れている時間を対比させることで、見ている人が奥行きを感じる。振付の違い、流れの違いが見えるようにするということをマノーさんはおっしゃっていました。桂さんも私も西洋のダンスのバックボーンではないので、いろいろふたりで助け合って、動きを確認し合いながら、この動きはこうかな、とお互いにお話しながら。

最後にボヴェさんと桂さんのお二人が踊るところでみんなが合流しますね。

そうです、まず女性二人で踊って、みさこさんと高林さんのフレージングがあって、で音が流れて私と桂勘さんが出て行って踊って、みさこさんが去って、踊っているところにみんなが入ってくる、そういう流れです。

みんなが入ってくるときの動きは、ここでメインにいるお二人に合わせる形ですか?

いえ、各々初めから踊っていたんです。定められた『Trio A』の楷書体を、みんなが時間をずらしてひととおり、頭から最後まで踊ってバラバラに去っていくという形。私は遅いから、後からきたみんなが終わって去って、私だけ最後まで踊ってました。

人によって踊る速さは違うんですね、ボヴェさんはゆっくり。

私は体感としては、あと倍くらいゆっくりでもいいかもしれない。ちょうど速度の違うメトロノームがそれぞれ入ってきてぽんぽんぽんと置かれていって、でもこのカチカチの振りの回数は何回って決まっているから、定められた回数を振ったら止まる、というふうになっています。後からきたメトロノームが早ければ、最初に始めていたメトロノームより早く終わる。それもレイナーさんの、「それぞれの身体の時間の流れで」という形になるのだと。だからいわゆるユニゾンで、せーの、はい、ということではない。むしろユニゾン的にならない方が、作品としてはよいのだろうと思います。

最後に70年代当時のポップスが入りましたね。

同じ振付が3回続くので、音楽を入れる事で観ている人に別の角度から振付を感じていただくためとマノーさんはおっしゃっていました。『Trio A』の上演スタイルは、いくつかバージョンがあるようで、もっと大人数で踊るバージョンとか、3人だけで踊るとか、そうしたバリエーションのひとつで、音が入るバリエーションをやりました。

バージョンについては、複数存在するようですね。それにも時代ごとの反映があって、アメリカの星条旗をまとって踊ったバージョンはちょうどベトナム反戦の機運を受けてのものだということです。それで言えば、今回は能の役者さんも入った京都での上演、ということになりますが。

今回行ったこの3つのパートは、上演の形態として既にあるものです。能の高林さんがなさった、相手の目をずっと追って動いていくという、あれもイヴォンヌ・レイナーさんたちのカンパニーの中にある演出の一つだそうです。上演のバージョンはいくつかあって、多分、実際に参加した人の性質を見て、どのバージョンで今回は行くかということをマノーさんが判断されているんだろうと思います。動きのフレーズは同じだけど、それをどう組み合わせるかといういくつかのパターン、演出がある。そこから今回は3つのフレーズを組み合わせたバージョンを採られたということですね。

よく分かりました。それを思うと、『Trio A』の歴史って長いですね。本当にいろんな上演が繰り返されてきた。

すごいですね。

映像から復帰してからも踊ったり、ほかの人たちにも躍らせたり、レイナーは常にここから、この作品を基点にダンスを考えている印象がありますね。

彼女にとっての踊りの拠り所になっていると、なんかそんな気がします。復帰されてからのバリシニコフとなさった作品もすごく素敵ですよ。舞台の記録映像ですけどね。すごくよかったです。バリシニコフがレイナーに振付を依頼して、それでレイナーがダンスに復帰したということですが、バリシニコフ本人も膝を痛めて跳べなくなっていて・・・とはいえ、跳んでましたけど、すごく誠実な動きで。でもそこはやはり、バリシニコフだから魅せるんですよ、ピョンピョンピョンって。だからはっきり言って、この70年代の思想からすると、転向してるんです、レイナーが。

でもいわゆるバレエの動きに回帰しているわけではないんですね。

バリシニコフがレイナーの動きを自分で踊りたいといって依頼したそうです。最近の作品ではラヴェルの「ボレロ」を6人くらいが踊っていましたけど、これはバリシニコフではなくてレイナーさんのカンパニーですが、それはこう、ボレロがずっと流れているんだけれど、敢えてずらした感じで、みんなが勝手にバラバラ踊ったり、一緒に輪になってぐるぐる回っていたり、すごく楽しそうに和気あいあいと。敢えて音にのらないで、音と距離を取りながら動いていく。

遊んでいる感じでしょうか?

そう、そんな感じです、軽やかに。若い頃は思想的な、キツイではないですけど、プロテストな感じがあるけれども、今はそういうものをふわーっと通り越している。

「ノーマニフェスト再考」(注:レイナーが自ら発表した1965年のマニフェストを見直したもの)に関しても、強い「NO(ノー)」を打ち出した最初の宣言から、もう少し許容する方向に変わったものでした。

そういうものなんだなと思います、とても人間的ですよね。その時々に一生懸命やっていることはありますけれど、時の流れとともに人間が変わってくることもあり、そこに頑なにならずに、自分の感情に対して素直に変化しながら、変わらない骨格もあって、なんかそんな姿がドキュメンタリーを見てすごく感じられました。

ところで、ボヴェさんは振付家から仕事を受けてダンサーとして踊るのではなく、ご自分で作品を作られ、しかもほとんど即興的に舞うという方法を採られていますが、今回こうして半世紀前の作品を、振付を受けて、指示に従って踊るというのはどんな経験だったんでしょう。

それは楽しかったですよ。自分の作品としての責任がないわけですから(笑)、そこで言われたことに愚直に取り組んでみるっていうのは本当に楽しくて。自分はこう思うけどどうなの、とかそういうことじゃなくて、とにかく言われたことを自分の中で整理してやってみる。皆がそのようにやってきて、全体でどんなことになっていくかということに身をゆだねていくっていうのは、すごく楽しかったです。身体的には普段使わない部位がいっぱいあったので負荷はありましたけど、すごく発見がありました。参加してよかったなと思います。

舞踊家としてご自分の中で矛盾があるということはなかったのですね。

はい。私はいつも空間に身をゆだねているわけですが、その流れでいえば振付に身をゆだねてみる、そういう文脈のなかでは矛盾はなかったです。この経験が自分のことにどうフィードバックされるかは、インスタントには語れないことなので、多分忘れたころにそれがじわーっと来るのではないかと思います。この動きが影響してこうなった、という明確な線を、頭で構築できる段階ではまだまだ全然ないのですが、今回の体験が、原型をとどめないくらい体の中で溶けて忘れた頃に、形を変えて現れて来るかもしれません。だた、そういう具体的な形とか、動きということだけでなく、振付を通じてこういう思想に触れたということは、大きな財産となりました。具体的には、途切れることのない動きの持続。そして動きを魅せない、誇示しない。誇示しないというのは、すごく簡素な言い方にしますと「動きそのものに集中する」ということ。これは、私が創作において常に大切に思ってきた事でもありました。

ボヴェさんの目指していらっしゃる舞踊の方向と、イヴォンヌ・レイナーが『Trio A』で試した内容は、むしろ親近性があるといっていいのですね。

あります、あります。身体的な、技術的なからだの使い方はちょっとちがうけれど、目指そうとしている方向性は、響き合うものがすごくあって、体の中の発見もあり、それをどう捉えるかという発見もありました。とても有意義な体験をさせていただきました。

(2018年2月10日 京都にて 聞き手:竹田真理)

 

■ボヴェ太郎(舞踊家・振付家)
1981年生まれ。空間の〈ゆらぎ〉を知覚し、感応してゆく「聴く」身体をコンセプトに、歴史的建造物や庭園、美術館等、様々な空間で創作を行っている。主な作品に『不在の痕跡』、『余白の辺縁』、『百代の過客』等がある。能の古典曲《杜若》、《井筒》、《葵上》、《江口》、《野宮》、《楊貴妃》を題材とした能楽との共演作品を上演するなど、〈ことば〉や〈音〉によって立ちあがる空間に着目した作品も多く手がけている。
■竹田真理
ダンス批評。関西にてコンテンポラリーダンスを中心に取材・執筆活動を行う。毎日新聞大阪本社版にレビューを執筆するほか、ダンスワーク(ダンスワーク舎)、シアターアーツ等の批評誌、公演プログラム、ウェブ媒体等に舞台評、テキスト、インタビュー記事等を寄稿している。