まずご自身の経歴、ダンス経験をお聞かせください。

私は空間と身体の関係性から舞を立ち上げるという方法で作品を作っています。過去には振り付けられたものを踊ってみたこともありましたけれど、同じ振付でも上演する空間によって体感として感じられる質の違いといったものを非常に大きく意識する経験が多かったんです。ムーブメント、動きの流れは同じであるにもかかわらず、上演する空間によってまったく違ったニュアンスになってしまうことが、楽しさでもあり、難しさでもあった。そこから、体を振り付けるのではなく、むしろ空間の設えによってどのようなダンスが立ち上がってくるかという作り方をするようになりました。どんな空間で上演するか、どんな光か、どんな音の響きかといった身体をとりまく環境を設えて、そこからダンスを紡いでいくという方法です。それが基本的な私のスタンスです。

実際に能舞台で舞うこともなさいますね。そんなボヴェ太郎さんは現在の日本のコンテンポラリーダンスにおいて独自の道を開拓されていますが、もともと踊りにはどのような形で関わるようになったのですか。

もともと音楽が好きで、ピアノとヴァイオリンを趣味でたしなんでいたんですが、中学生、高校生の頃にドビュッシーであったり、ラヴェルであったり、ストラヴィンスキーであったり、サティであったり、いいなあと思った曲のことごとくがバレエ・リュスの時代に作られていた音楽でした。一番好きな作曲家はバッハですし中世のポリフォニーなども好きですけれども。そこから、どうしてこういう音楽が作られるようになったんだろうと関心をもったんです。そしてああそうか、これは音楽で完結しているのではなくて、当時の前衛的な舞台作品として作られたのだ、舞台との関係性で成り立っているというところにすごく興味を引かれました。そこから、20世紀初頭にこういうことが行われていたとすれば、現代では何があるのだろうと探り始めました。当時ちょうどピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイス等が毎年のように来日していたんですね。そうしたものを見て、ああ凄い、自分もなにか出来たら、と思うようになって、高校では音楽と舞台も含めていろいろ学べる学校へ進学し、そこから舞台を作り始めました。学校にあるホールを使って、自分の作品を上演していました。

フォーサイス、ピナ・バウシュの名前が出ました。

コンテンポラリーダンスと呼ばれているものが素晴らしく衝撃的でしたし、ちょうど晩年の大野一雄さんを精力的に見ていました。違うジャンルでそれぞれ「これは何だろう」という身体の持っている力に惹かれ、いろんなジャンルのダンスに触れていきました。お能もそうですし、歌舞伎の舞踊もそうです。最晩年でしたけれども地唄舞の武原はんさん、お能では先年亡くなられたワキ方・人間国宝の宝生閑さんなど、ジャンルというよりも個人でとても素敵だなと思える方をライブで拝見して、立ち上がる何ものかに感銘を受けるという経験が多くありましたので、コンテンポラリーダンスを学ぶというよりも、それぞれのダンスで素敵な方を拝見しに舞台にも足を運びますし、今は映像アーカイブが残っていますので、鬼籍に入られた方も映像を見たりしながら自分の中にフィードバックさせて舞台を作っています。特にお能は好きでよく見ますが、それぞれの能楽師の方、アーティストの方によって立ち上がってくる世界観が違いますよね。個人ということもありますし、古典の場合はそれぞれの流派というよりもさらに家によって全然雰囲気が違うんです。ですからその方のお孫さんが舞われる姿を見ると、その祖型というか、骨格みたいなものの違いがすごく明瞭に見えてくる、それが面白いんです。それぞれの色の違いというものは、ベテランのクラスになると味わいとしてじわーっと出てくる。重層的な深みをもっているので比べるのは難しいんですけれど、若手を見ると、多分ご本人は稽古をつけてもらったのを一生懸命なさっているんですが、ああそうか、そこがそのお家のなんともいえないニュアンスか、こういうことなのかとすごく発見があったりします。

幼少から踊り始めたというダンサーが多い中で、見ることから入られたというのは希少な立ち位置ですね。そんなボヴェさんはポストモダンダンスについて、ジャンルとして、また時代として、どのように意識されていますか。

ダンスというものに興味を持った時に20世紀のイサドラ・ダンカンから現在までの流れをいろいろ調べた時期があり、そういう歴史的な文脈の中で勉強したことはありました。面白いなと思うのは同時代のマース・カニングハムとか、トリシャ・ブラウンといった人の踊りがいろいろ体系化されてメソッドとして継承されていくということはあるんですけれど、映像で見たりすると、ご本人が圧倒的に素晴らしい。ご本人以外の方が踊っているのを見ると、あ、そうか、これが彼の言っていたあのメソッドなのか、こういう思想的なものなのか、なるほどと思うんですけど、あれ、ちょっと待って、本人たちには明らかにそれを超えた、別の何か粒子の動きみたいなもの、そこを超えていく圧倒的な生命力みたいなものがあって、そこのほうが圧倒的に面白いな、と思うんです。

本人が踊っているものが圧倒的に面白い。

圧倒的に自由じゃないですか。それは何だろうなと。結局、メソッドで整理するというのはある意味、自分自身でものを整理してさらにステップアップしていくためのプロセスなんだろうなと。だから彼らが自分の中で整理している部分とそれを超えていく部分があって、そこの超えてしまっている部分のほうに見る人ははっとさせられる。自分はそこに感動しているんだろうなと思います。ほかのジャンルのお能にしても歌舞伎の舞踊にしても、みんな稽古でしっかり積み上げていくんですが、そこを超えてしまっている部分、多分本人も何が起きているんだろうということは意識できていないもの。そこがダンスを見る喜びだし、自分の場合も舞っているときに自分のコントロールを超えた部分というのがじわーっと出てくることがあるんですね。今回のイヴォンヌ・レイナーさんも若いころに踊っていた『Trio A』の映像を見ると、論文で『Trio A』についてかなり詳しく語られていますけれど、そこから零れ落ちてくるもの、揺らめきみたいなものがすごくチャーミングだなと思います。いろんなものを削ぎ落として、運動そのものに向かって行くと言っていますが、そこを零れていく、彼女ならではのチャーミングな動きが素敵だなと、映像にそれを感じました。それが50年経って、古典化していく。古典作品として、それをみんなが踊っていくこととの間に違いがあるのかどうなのか、そこに興味がありました。自分が普段動いている舞の質感とは全然違うので、振付を覚えることそのものもかなり困難を極めるだろうし、ご迷惑をおかけするだろうからとお話したうえで、でもいろんな身体性をもった人が敢えてそれを経験していく企画にしたいということでしたので、そうであれば何か自分なりの関わり方が出来るかなと思って、今回お引き受けしたんです。

リハーサルも含め、実際に踊ってみていかがでしたか?

古典もそうですけれども、まず型を体に、作品なり世界観を体に入れて、それを体が覚えてから新たなところに行くんですけれども、覚える手前で必死でしたので、なかなかそこまでの段階には行けなかったです。ですがいろいろな動きが継続して、止まらないで全部が繋がっていくっていうところが意識されているということを今回振付指導してくださったマノーさんがおっしゃっていて、一見すると仕草のような、所作的な動きがいろいろあって、動きが組み合わさってスピードが違うんですけれども、全部が持続して途切れないでつながっていくというところが非常に面白い。明らかに、それこそトリシャ・ブラウンとかの動きは、もっとこう明確に動きが繋がっているんですが、途切れそうな、不思議な動き、ミミックなというか、なんか不思議な動きがいっぱい挿入されているんです。だから体にとって自然な動きではない動きがあるんだけれども、それが不思議なつながりをもって継続していくというのが、すごく、すごく不思議な体験でした。おそらくそれはイヴォンヌ・レイナーさんにとって自然な体と動きなんだな、ということは感じました。明らかに頭の中で考えているのではなくて、彼女の中でこれが自然な流れというのがあるんだなと。ですから不思議とこう、右足に負荷がかかることが多かったですね。他のダンサーの方とも「右足に来ますよね」って話していました。そういったものは、ある意味その、彼女の中のクセなのかなと思いました。

クセが振付として入っていたわけですか。

そういう感じもありました。それが体験としてすごく面白いところでしたね。でも、映像で拝見していたのと、振り付けていただいたのでは違う部分が結構あって、映像の方だと、かなりラフな、自由な感じで踊られているんですけど、今回踊ったものは振付としてフィックスされているので、バレエ・レッスンみたいな感じで、極めて緻密に、脚の角度とか、入れ方とか、全部整理されているんです。ですから映像とだいぶ違うなと。骨格が楷書化された感じ、草書体が逆に楷書体に、といったところがあって、古典化するってこういうことかと思いました。今回、展示とは別に映像が上映される企画がありましたが、それの最後にイヴォンヌ・レイナー本人が80歳を超えてからもう一度『Trio A』を踊られた映像があって、私にはあれがとってもよかったんです。体はすべての動きをなぞることはもう出来なくなっているんですけれども、明らかにこう、動きの志向性というか、こう動きたい、こういうふうに動こうとしている、というのが非常に明確なんですよ。それは、まさにその50年前の振付じゃなくて、今回私が教えてもらった動きそのもの、マノーさんから教わった動きなんです。だからこれはレイナーさん自身の中で整理されて今の形に変化したんだな、それを忠実にマノーさんが我々に移してくださったんだというのがわかる。それですごく合点がいきました。

レイナー本人のオリジナルから今日まで約30回にわたっていろんな人たちが上演してきたわけですが、おそらくその過程を経て、一つの作品の型として整理され、楷書体の動きになってきた、それをイヴォンヌ・レイナーが年老いた80歳の体でもう一度なぞるときには、その楷書体の、整理された『Trio A』を踊っている。

そういう感じがしました。不思議なもので。だから先ほど話したような、若いころの踊りに出てくる、振付から零れ落ちてくるきらめきみたいなものとは別のきらめきがここにはある。多分、『Trio A』の骨格の部分は変わることなくあったのかもしれないですが、微妙な変化があるんだろうなと感じます。自分が教わっている時は、もっと自由な動きなのではないかな、でも今踊っているこれは、その楷書の骨格を教えてもらっているからこういう形になっているんだろうというふうに思っていたんだけれども、それが、本人が踊られている、80歳を超えて踊られている姿を見て、そこの骨格が整理された部分と、そこからふわーっと香ってくるプラスαの部分の微妙な変化、変わっている部分と変わってない部分の不思議なグラデーションみたいなものがあって、とても惹かれました。

まさに今企画のテーマのひとつである「老いと踊り」に迫るお話ですね。

ある意味彼女が積み上げてきたものがダンスのひとつの結晶として、そういう形になっている、そこに触れた気がします。マノーさんの話だと、イヴォンヌ・レイナーはいつもウォーミングアップでこの『Trio A』を踊るらしい。いつもそれを踊ってから作品を作り始める。やっぱり彼女にとって『Trio A』という作品は彼女の踊るということのプロセス、背景、象徴的なものなのかな、と感じました。

2018210日 京都にて 聞き手:竹田真理)

後編に続く

 

■ボヴェ太郎(舞踊家・振付家)
1981年生まれ。空間の〈ゆらぎ〉を知覚し、感応してゆく「聴く」身体をコンセプトに、歴史的建造物や庭園、美術館等、様々な空間で創作を行っている。主な作品に『不在の痕跡』、『余白の辺縁』、『百代の過客』等がある。能の古典曲《杜若》、《井筒》、《葵上》、《江口》、《野宮》、《楊貴妃》を題材とした能楽との共演作品を上演するなど、〈ことば〉や〈音〉によって立ちあがる空間に着目した作品も多く手がけている。
■竹田真理
ダンス批評。関西にてコンテンポラリーダンスを中心に取材・執筆活動を行う。毎日新聞大阪本社版にレビューを執筆するほか、ダンスワーク(ダンスワーク舎)、シアターアーツ等の批評誌、公演プログラム、ウェブ媒体等に舞台評、テキスト、インタビュー記事等を寄稿している。