これまでのダンス経験をお話しください。
スタートはクラシックバレエです。何か新しいものに取り組んでみようと探し始めたのが20歳すぎくらいのころ。コンテンポラリーダンスという名もまだなかった時代です。私自身が臆病者でバレエを全部捨てて新しい分野に飛び込むことができなくて、「違うメソッドを習ってみよう」と思ったんです。それまでに一つクラシックのメソッドをやってきたので、それを増やしてみようと。今から思えば、バレエは私の体の歴史だから、失くせるものではなかったんです。
ちなみに何歳からバレエを?
4歳です。4歳はあまり意味がないって言うんですよね、本当は。ちゃんとした国立のバレエ学校は10歳くらいからですし。最初のころはお遊戯みたいにしていました。次に習ったメソッドはリモン・テクニックというアメリカのモダンダンスのテクニックで、そのあと「砂連尾理+寺田みさこ」を結成して自分たちの作品を作り始めました。ボキャブラリーを増やしながら自由に作品を作り、振付をするという時期でした。その後、山田せつ子さんをはじめとする舞踏系の人たちとの出会いがありました。京都造形芸術大学で教えるようになってせつ子さんと出会い、せつ子さんの企画したジャン・ジュネの研究会で白井剛さんと一緒に仕事をしました。彼を舞踏系というのはちょっと強引ですけれど。
今までご自分の中で大きかった作品、自分を変えた作品はありますか?
その時々でいろいろありますね。石井潤さん(*)の作品も、それ以前はほとんど古典バレエしかやったことがなかったので、外から来た者からしたら衝撃的な変化でした。作品自体が使っている技術はクラシックバレエのベースからは出ないのですけれど、物語性があったし、作品としての楽しみもあったし、それに石井先生の人柄。ダンサーと対等な関係を築く人だったんです。日本のバレエでは師弟制から抜けきれず、大人になってもそれが継続していくことが多いんですが、ダンサーはクリエイティブな仕事だということに目覚めさせてくれた先生との出会いは大きかったですね。
〔*京都で石井アカデミー・ド・バレエを主宰した振付家・指導者(1948~2015)。寺田氏は成長してから門下に入り、2018年2月の追悼公演で振付指導を務めた。〕
コンテンポラリーダンスの世界で砂連尾さんとともに活動する道が開けたのも石井潤さんとの出会いがあってのことなんですね。
そういうこともあったと思いますね。だた、どうやろなあ・・・山田せつ子さんと仕事を始めたころ、せつ子さんが私の踊りに対して「振動が全くない」っていうことを言ってはったんですね。悪い意味だけではなく。全然意味が分からなかったんですよ、その頃は。振動って何?って。今思ったら、せつ子さんの踊りにも、白井君の踊りにも振動があると感じるんです。二人とも種類は違うかもしれないけど。ダンスって勿論時間の中で消えていくと言われるのだけど、二人とも、フォルム否定っていうとちょっと強いですけれど、形に捕らわれたくないといった志向性があるなと感じていたんです。白井君の踊りのすごくいい時、いい状態で踊っているときの彼の感覚って、皮膚のここ(手を密着させて)ではなくて、少し先(手を少し離して)に感覚がわーっと開いている感じがするんですよね、抽象的な言い方ですけれど。せつ子さんもそういうタイプの踊りだと思うんですよ、振動数が細かいから止まっているように見えるけど、体の中ですごい速度の振動がずっと起こっている感覚があるなと。で、ジュネの企画の後、白井君振付の『Blue Lion』に参加した時、白井君の振付を踊ることになるのですけれど、白井君が踊ると先ほど言ったみたいに振動というようなものがあるから、あ、いいなと思えるのだけど、形だけ取ってきてもペラッペラで何もなくなっちゃう、という感じがあって。白井君の振付をどうやったら成立させられるか。たとえば先日のチョン・ヨンドゥさん(注:2018年1月の寺田氏のソロ公演『三部作』で振付を行った3人の振付家の一人)の振付の場合は、形自体が見せられるものとしてものすごく精密に作られているけれど、白井君の作るのってそういう形ではないんですね。形だけ追っても何も成立しないっていう気がして、この入れ物としての形に何を入れたら成立するんだろうっていうことを一生懸命練習していたとき、初めて、あ、なんかこの感じだったらできるかもって思った瞬間があって、そのときに、くーっと何年か前にせつ子さんから言われた振動というのを思い出すということがあったんです。ああ、せつ子さんが言われていたのってこれかって。ある意味では、せつ子さんから求められたものを白井君の現場で気付く、というくらい、人の体の感覚を自分の中で飲み込んでもう一度再生させるということは、時間がかかることなのではないかって思うんです。
振り移しますよ、はいどうぞ、という簡単なものではないんですね。
たとえばバレエというカテゴリーの中でなら、同じ言語でしゃべるということがあるのですけど、せつ子さんの言語とは別の言葉だと思うんですね。それは言葉を習得するくらいに大変な作業のはずと思います、人の振りを踊るということは。だけどそれくらい大変な作業のはずやから楽しいんですよ、私にとっては。それはヨンドゥさんとも共感するところがあって、僕の振りを私の体に入れるのは大変な作業だと思うって言ってはって、確かに大変だけれど楽しいことでもあるし、今ではなくて、数か月後とか、もしかしたら何年か後とか、全然別のことをしているときに、ふっとヨンドゥさんの振りみたいなものが出てくるかも知れへんってことを言っていたんです。そういう意味ではこの作品を踊ってガラッと変わりました、というよりは、前のものに新しい液が入って、それがどういう色になっているのか、本当に分からない。時間が経って、あ、混ざったらこんな色(笑)みたいな感覚です。
そうした経験の中で『Trio A』と出会われたわけですね。60年代、ジャドソン教会派の中心のひとりであったイヴォンヌ・レイナーの象徴的な作品ですが、ポストモダンダンスについて何か抱いていたイメージはありましたか。
すごく関心は持っていて、でも全然勉強は出来ていないです。私の横着さもあり、本が少ないこともあって。トリシャ・ブラウン関連でも、岡﨑乾二郎さんの『思考というモーション』くらいしか簡単には手に入らないし、英語の文献ではちょっと勉強できないということがあって、そのままこうしてきているんです。
本当にここ数年ですね、急速に関心が高まってきた感があります。
何で今ここで? ということに関して関心を持っているんですよ。私自身はリモン・テクニックを習いにアメリカに行ったんですね。その時に、イヴォンヌ・レイナーは見てないのですけど、初めてトリシャ・ブラウンの作品を見ているんです。トリシャの初期の最も実験的なことをしている頃より後の、劇場に戻ってからの作品をジョイス・シアターという中規模の劇場でよく上演していて、それではまったんですよ、トリシャ・ブラウンに。
80年代ですか?
90年代の前半です。一方で、その当時、私のダンスの神様と思っていたのはピナ・バウシュなんです。だからなかなか自分の中で、ピナ・バウシュが大好きっていう自分と、トリシャ・ブラウンから目が離せないっていう自分がどう結ばれているのかが自分でも理解できないというところをずっと持ち続けていたんです。日本に帰って来てからはピナ・バウシュのほうが毎年公演に来るのでずっと身近に見られるし、トリシャは全然日本に来なかったし、というわけでトリシャへの熱はどこかに置いてきてしまっていたんです。砂連尾さんとの作品は明らかにピナの影響を受けていましたしね、圧倒的に。
ひと言で結構ですので、ピナ・バウシュとトリシャ・ブラウン、それぞれどこに惹かれるか、聞かせてもらえますか?
ひと言って難しいですけれど(笑)。ピナに関しては、今から思ったら微妙ですけど、やっぱりヒューマニズムということがありますよね。タンツテアターになってからの初期の作品が好きだったのですが、その頃は特に色が強かったと思うんですよね、経歴もいろんな人を集めたりしていて。それに対してトリシャは、本当にわからなかったです、当時は。何で惹かれるのか。眠くもなるんです、当然、ずっと見ていたらその単調さで。そのふーっと眠っている時間も含めて、ずっと見ていられるみたいな感じなんです。そのずっと見ていられる感じっていうのは今でも大事な感覚。風景が、雲の形が移り変わっていくのをずっと見ていられる、あの感じに近いですね。砂山がすーっと崩れていくような。
急進的だったり、禁欲的だったりするポストモダンダンス初期の、ジャドソン教会派のそれとはまた違ったイメージがありますね。
そうですね。今回の企画の一環で、昨年3月に映画『フィーリングス・アー・ファクツ~イヴォンヌ・レイナーの生涯~』の上映がありましたね。私は途中で抜けたんですが、最後まで聞いていた人の話では、アフタートークの登壇者の岡﨑乾二郎さんがトリシャ・ブラウンとイヴォンヌ・レイナーの違いについて、ダンス的なグルーブみたいなものをレイナーは最後まで拒否し続けたが、トリシャはそうではなかったと、そんなことを言っていらしたと聞いたのですけれど、私の周囲でも・・・こういったことを話せる人って少ないですけど・・・女性にトリシャのことを好きだっていう人が多くて、男性にイヴォンヌ・レイナーが気になるっていう人が多いなっていう気がします。そんなこと男性女性で分けるのも乱暴なんですけれど。
女性はピナ・バウシュに惹かれ、男性はフォーサイスに惹かれるというのと似ていますね。レイナーは理論的、ある意味、急進的と言えますね。
そうですね、レイナーは思考回路がそちらの方向にある気がしますが、トリシャにはそこに遊びが入ったり歪みが入ったりすることをすべて受け入れていく豊かさを感じるんですよね。重力とか物理、構造への探求がありつつ、だからといってヒューマニズムといったものが全く感じられないということではない。暖かみが絶対についてくる。フォーサイスの活動は注目していますし、凄いっていうのはあるけれど、トリシャが好き(笑)なんですよね。
そういう見方がある中で、イヴォンヌ・レイナーについては文献も資料もないし、上演もない。アメリカへいらっしゃったときもご覧になっていないわけですね。レイナーに対して、もしくは『Trio A』に対してはどのように思っていましたか?
ジャドソンの活動の中心にいた人っていうくらいです。『Trio A』に関しては You-Tube の映像で見たのと、当時のマーサ・グラハムかどこかのカンパニーにいた、すごく情熱的な動きをする有名な人気のダンサーが出ていて、その人に『Trio A』を振り付けるっていう・・・真似するという映像(**)を見たことがあるんです。それは『Trio A』のこの動き(両手を水平にのばしてぐるぐる回す)をそのダンサー役が情熱的にやろうとするのを、「いやいや、これだけだから」ってレイナー自身がダメ出ししていく、というもの。たしか大昔に見た気がします。パロディですけれどね、あ、面白いなと思った。それがイヴォンヌ・レイナーの最初の記憶です。
〔**グラハムに扮した振付家パフォーマーのリチャード・ムーヴがイヴォンヌ・レイナーと踊る映像。Charles Atlas監督による「Reiner Variations」2002|41:30の一部〕
(2月20日 京都市内にて 聞き手:竹田真理)
■寺田みさこ(ダンサー・振付家)
幼少よりバレエを学ぶ。1991年より砂連尾理とユニットを結成。「トヨタコレオグラフィーアワード2002」にて、次代を担う振付家賞、オーディエンス賞をダブル受賞。自身の作品を発表する傍ら、石井潤、山田せつ子、白井剛、笠井叡など様々な振付家の作品に出演。アカデミックな技法をオリジナリティへと昇華させた解像度の高い踊りに定評がある。
■竹田真理
ダンス批評。関西にてコンテンポラリーダンスを中心に取材・執筆活動を行う。毎日新聞大阪本社版にレビューを執筆するほか、ダンスワーク(ダンスワーク舎)、シアターアーツ等の批評誌、公演プログラム、ウェブ媒体等に舞台評、テキスト、インタビュー記事等を寄稿している。
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