まずご自身の経歴、ダンス経験をお聞かせください。

3歳頃、母に連れられてバレエを習い始めたのが稽古としては初めてです。小学生の低学年の頃に地元のダンス教室に通ってジャズダンスを習い始め、その中でヒップホップのようなことをしたり、いろんなジャンルのダンスを踊ってみたりしました。その後、大学でバレエベースのコンテンポラリーダンスと、バレエと、モダンダンスを学びました。大学の専攻で、そういうテクニックを学べるところに入って4年間勉強して卒業し、そのあと関西のコンテンポラリーダンス界でダンサーとして作品に参加してきました。

以前、大学で学んだグラハムテクニックについて樹里さんが話をされていたのが印象に残っているのですが、ご自身のベースにグラハムテクニックはかなり大きくあるのですか。

そうですね、大学4年間の中でグラハムテクニックのクラスを受けたので、他のものと同じように影響を受けていると思います。ほかにバレエのバーレッスンや、大学4年間の主任だった島崎徹さんの振付を受けたのでその方の影響も体の中に残っていると思います。島崎先生はキリアンなどの影響を受けていた方で、クラシックバレエの体の操作を使って建築的、立体的な構図を作って作品を作っていらっしゃいました。それがモダンかコンテンポラリーか、どこにあたるのかは難しいのですけど、キリアンとか、クラシックバレエからの流れの下にいる人だと思います。大学時代はその先生とグラハムとバレエのクラスを受けていました。

卒業されてからダンスボックスの企画などで踊るようになったのですね。

大学の最後の年だったかな、砂連尾理さんのクラスもあったのですけれど、自分が知っているコンテンポラリーダンスは大学で習ってきた範囲のもので、関西でどういうダンスがされているかということをあまり知らなくて、卒業して一番初めは自分のやりたいものをやろうとして公演を打ちました。その前にダンスボックスでヤザキタケシさんの『Revival/ヤザキタケシ』のオーディションを受けて参加したのが関西のコンテンポラリーダンスの中で一番初めに経験したことだったと思います。

千日前青空ダンス倶楽部にも参加されました。

そうですね、ほんとに短い期間だったのですけど。

白塗りで踊っていらした姿が思い出されますが、そこで舞踏も経験されて、その後、国内ダンス留学@神戸の1期生として学ばれました。大学でテクニックを学び、関西のコンテンポラリーダンスの中心と言われるダンスボックスで経験を積み、そういった中で今回、『Trio A』の再演に取り組まれたわけですね。

そうですね。

『Trio A』という作品については知っていましたか。またどんな作品だと思っていましたか。

私にとっては、歴史の中のもの、歴史の中に残っているダンス。作品のことは知っていました。You-Tubuで見られるので、それを見たことがあった程度でしたが知っていました。

リハーサルの様子をお聞かせ下さい。期間はどのくらいされたのですか?

6日間くらいでしたね、あと会場でのリハーサルと本番くらいだったと記憶しています。

マノーさんが振付指導にいらして、その方から振り写しがあったと聞いています。実際にはどのように行われたのでしょう。カウントを取りながら?

カウントがある作品ではなかったので。

音楽を聴きながら?

音楽に合わせて踊る作品ではないですね。踊りの初めからマノーさんが動いて下さって、みんな後ろについて形をとっていくという稽古のしかたでした。クラスの初日の一番はじめにみんなでバーレッスンのようなことをして、それでウォームアップをしてから稽古を始めました。『Trio A』のオリジナルの方たち、いや“オリジナル”ではないですが、アメリカで踊ってらっしゃる方たちが普段やっている準備運動がこれだよ、ということでした。

それは何か特別な形のものですか?

特別ではなく、やっていることはバレエなんですけど、クラシックバレエのようなバーレッスンではなくて、形をきれいにするよりは筋トレとか、体幹が鍛えられた方がいいからとか、身体づくりのためのものを、バーレッスンを取り入れながらマノーさんが教えてくださいました。プリエとかタンデュとか腕をしなやかに動かすとか、ということも行われたので、バレリーナのようではないけどバレエの基礎のあるほうが踊りやすいダンス、ということだと思います。

そのようにしてウォームアップの仕方を教えてもらい、実際に『Trio A』のオリジナルの動きをマノーさんの後についてみんなで真似て、まず動きを体に入れるんですね。

そうですね、一番初めにトレーニングもするし、あとテキスト。レイナーが『Trio A』について書いたテキストを配っていただいてそれを読んで、その中にある「前を見てはいけない」とか「フレーズを作らない」ということをみんなで確認してから振付に入りました。

そのテキストは上演翌日のシンポジウムの資料にあったものと同じですか。

頂いた資料の中に載っています。マニフェスト、(資料を指して)ここに。そしてこちらが更新されたマニフェスト。

この作品を踊るにあたってマノーさんから示された留意点は、まさにマニフェストに書かれた内容だったわけですね。

アクセントをつけないとか、観客を見ないとか、「オリジナルからあるルールを守って下さい」ということを確認して、あとは延々と動きを覚えていく作業でした。

敢えて「アクセントをつけない」と念を押されるのは、ダンサーの体というものはどうしても踊っていればアクセントがついてしまうということでしょうか。

そうですね、私の場合はバレエもモダンもそんなにプロフェッショナルではないんですが、一応、体に経験してきたものなので。そういう動きはグラハムだったら大きなアクセントがあったり情緒的な動きがあったりするものなんですけれど、『Trio A』はそういうところに反発して作られたものなので、自分の体に馴染んでしまっているそういうものを意識して違うところに置いておかないと無意識にポンと出て来てしまうので、注意してやる必要があって、ということかな。

そのように初めから審美的な要素を排して振付けられたものであっても、それを踊った時には、今までの踊りの経験があり、やはり生きた体である限り、ノリとかグルーブが出てきてしまうのがダンサーの体だということでしょうか。上演ではそれぞれの人が自身の中にあるグルービーなものを意図して押さえている印象も受けましたが。

もしかしたら、振付の中にバレエ的な動きとかグラハム的な動きとかが折り込まれているので・・・

あ・・・そうなんですか?

それで、それを踊ったときにうっかりそういうものが出てしまうのかな。いろんな種類の動き、いろんな角度の動きが短い時間でどんどん移り変わっていく作品なので、そうやってバレエみたいなものもあれば、ただしゃがんで立ち上がるという動きもあったり、ものすごく高いジャンプをするときがあったり、逆立ちがあったり・・・なんというか、ダンスを「こういったテイスト」といったものにしないために、いろんなところ、いろんな角度から動きを採ってきて混ぜていたんだと思います。

ひとつのテイストにしないために逆にたくさんのものを取り入れている。そうした作り方になっているんですね。

動きはいろんな種類が繋がって、そうですね、同じものが2回出てこないように。

同じ動きが繰り返されれば強調になってしまいますよね、見る側に訴えてしまう。

そういう中で自分の馴染みのある動きがポンと出て来てしまうと、うっかりそこだけアクセントをつけてしまったり、ということを無意識にしがちなので。

『Trio A』の中身について、実際はどういった要素で出来ていたのかということが明らかになるお話ですね。たとえば作品の中でここはバレエを感じたという動きにはどんなものがありましたか?

ロンデジャンプといって脚を前から後ろに、こう、回す動きとか。(実演して見せる)

片足ずつ半円を描くように後ろへ運びながら後退していく動き。

それです。あとバランスを長い時間保ったりとか、足を後ろに真っすぐ上げたりとか、そういうのがバレエ的。バレエの基礎を持っている人のほうがすっとできる動きでした。あとマノーさんも「グラハムっぽく」と言って教えてくださったコントラクションしてポーズを取る動きもあったり。マノーさんは実際レイナーも「そこはグラハムの動きよ」と言ってみんなに教えていたというのを聞いたりしていて。

まあ、そうなんですね。

あと、動いていて難しいなと思ったのは、そうやって時間軸的にいろんな動きが入っているというのもあるし、一つの体の中に右腕は力を抜いて、左腕は力を入れて、足はまっすぐにしてといったいろんな使い方、質感が混ざっていることでした。そういうことも踊っている本人は難しいなと思ったし、やっぱり動きをある程度訓練した人のほうがやりやすい作品だとは思いました。

それほど複雑にできていた作品だとは驚きです。「フラット」と言われますが、ここが美しいとかここが盛り上がりだといったことを一切なくすという意味での「フラット」と単純に受け止めていました。

そんなことが敢えて強調されないところが『Trio A』なのかなと思いました。こんなすごいことをしているんだよとは他人からは見えない。

それが実際にはそれだけ細かい細工と構成によって成り立っていた。

そうですね、あと、そういった細かい身体の使い方もしながら、前を見ないとかフレーズを作らないとかアクセントをつけないとかいろんなルールをやりつつ、加えて、『Trio A』の最後のシーンでは5人が全員交差しながら同時に動いて、それぞれのタイミングで動いて、というシーンがあるのですけど、体でそんなにたくさんのことをやりながら、さらにこう周りにも意識を分散させて、その日ごとに変わっていく皆さんの位置を確認して、動きを繋げていくこともしなくてはいけなかったりして、なんかこう、意識が自分の体にも向くし、自分の外側にも向くし、ということで、身体が吊られている感じがするっていうか。

吊られている。

こう、お客さんから見られて緊張するのをほぐさなくちゃいけないとか、次はこういうふうに動こう、次はこういうふうにとか、そういうふうに自分をコントロールする意識は体の中にあって。一方では「見られている」っていう外への意識の配り方もコントロールして、視線を受けながら、なんていうか、それを周りの一緒に動いているダンサーとか壁とか美術とか360度に対する意識をこう、満遍なく、フラットに保っていく。自分の体がそうしたいろんなことの中間にあるような感じがして、それでいろんな方向から引かれているみたいなので、「吊られている」っていう感じになるんです。

(2018年1月26日、神戸市内にて。聞き手:竹田真理)

後編に続く

 

■西岡樹里(ダンサー)
兵庫県出身、在住。幼少よりダンスを習い始める。大学にて舞踊を学び、文化庁・NPO法人DANCE BOX主催 国内ダンス留学@神戸 に一期生として参加。砂連尾理、チョン・ヨンドゥなど国内外で発表される様々な振付家の作品に出演。また自身の振付作品を製作し発表する。(写真:田添幹雄)

 

■竹田真理
ダンス批評。関西にてコンテンポラリーダンスを中心に取材・執筆活動を行う。毎日新聞大阪本社版にレビューを執筆するほか、ダンスワーク(ダンスワーク舎)、シアターアーツ等の批評誌、公演プログラム、ウェブ媒体等に舞台評、テキスト、インタビュー記事等を寄稿している。