〜変わらないこと 変わり続けること〜 

研究会「老いを巡るダンスドラマトウルギー」に参加して、日本舞踊の花柳寿南海さん、花柳大日翠さんと中島那奈子さんの対談や、京舞に関する岡田万里子さんからのお話はとても興味深かった。それぞれの場で成り立ちが異なっているので一概に言えないと思いつつも、振り返って、共通して見えたことは「制度」というものだった。舞踊が抱えてしまっている「制度」が舞踊家自身の無意識にどう作用しているのかということに、とても興味を持った。

その延長で児玉北斗さんの、バレエダンサーがある年齢で一線を退かなくてはならない起因としてのカンパニーの問題、また、おそらく世界で最も強固な社会的制度を持つ中国で仕事をするメンファン・ワンさんの引退したバレエダンサー達との新たな試みのレクチャーは切実な現実を伝えてくれた。

研究会のテーマである「老いとダンス」を考えるのは、とても難しい。

100歳を超えても踊られた、舞踏家大野一雄先生は70歳で舞台を再開された頃、ご自分が老いていると考えていただろうか。カラダの中で無数の生命のイメージが浮いたり沈んだりしていたのではないかと思うが、それを受け取る身体の変容をどのように考えていたのか。

土方巽さんは若くして衰弱体という言葉を見出されたが、舞踏の現場で「衰弱体」の実現には何が必要だったのだろうか。

ダンスにおける「老い」を伝統芸能の中で伝えられる、年齢や芸歴で捉えるのではないとしたら、どのようにこの問題意識は展開されて行くのか。

踊るということは身体の動きのことなのか、身体というのはどこからどこまでの何を指し示すのか。禅問答のように果てしない所に踏み込むような気配もある。私のように、すでに老いのスタートを切ったと思うダンサーは自らと問答するようにしてこの場に参加している思いがある。振り返りのタイトルとして提案された「変わらないもの 変わり続けるもの」は、日々の痕跡の中から拾いあげ、思考し具体化して行くということなのだろう。

山田せつ子